12月:命を食べる 2003.12.13〜14

アイスブレイク/命を食べる 鶏編/夕食&家畜動物学
定点観測&ふりかえり



★1日目:アイスブレイク(担当:たけ

集合with富士山 にげろ

 今回のアイスブレイクは、たっちゃんが担当予定だったが、急に欠席になり、たけが担当した。いきなり代打といわれても困っちゃうよね。ゲームは昔懐かし、「だるまさんがころんだ」だ。と思ったら今の子供も知っているようだ。他のプログラムに参加している子が乱入してきた。昔からある遊びって地方ルールが必ずある。関西出身のたけは「ぼんさんがへをこいた」とか「おっさんがへをこいた」とか言っていたようだ。しかも、「おっさんがへをこいた」場合は「くさ〜」といいながら鼻をつまんで、手を仰がなくてはならない。さすが、関西人だ。  鬼って性格がでますね。アッパーはちょっとでも動くと、捕まえるし、他の人は割と遠慮がちかな。まんまはアイスブレイクの時もファインダー越しでシャッターチャンスを待ち構えているので、何かと細かいことに気がつくのだ。ウルトラマンのように腕を前にして忍び寄る人発見。見ててとても笑えたよ。本人は真剣なんだろうけど。みんな童心に戻って白熱した30分でした。

★1日目:命を食べる 鶏編(担当:ジン
鶏を選ぶ  楽しいアイスブレイクの後は、急に心が引き締まる。鶏の命を頂き、命を食べる。ホールアースの鶏小屋には、30羽程の鶏がいる。その中から、3羽の鶏を頂く。小屋の中の大半は雌鳥だ。基本的にハーレムを作る。群れの中に雄鳥は1羽でいい。ケンカに負けた雄鳥は自殺することもある。雌鳥だからといって平和というわけではない。いじめられ毛を抜かれる鶏もいる。また、年を取ると鶏は卵を生まなくなる。いじめられていたり、卵を生まなくなった鶏から選んでいく。卵を生まなくなった鶏を判別するには、お尻に指をあてる。指をあてるとお尻の両側に突き出た骨があるのがわかる。良く卵を生む鶏は骨と骨の間が広い。骨と骨の間に指が2本入らないようだと卵をあまり生んでいない。働きの悪い鶏から食べたれるというのは、自然といえば自然だが、過酷な世界とも思える。この時はみな、命を頂くと知りながらも、卵を生まない鶏の判別方法を聞いて、和気藹々としていた。
出血 縛る  鶏を籠にいれ、倉庫の隣へ移動した。そこには、テーブル、エプロン、お湯と水の入ったボール、ロープ、包丁、ナイフが用意されていた。エプロンをまとい、まるで野外クッキングをするかのようであったが、鶏が籠からだされると、急激にみんなの顔が引き締まった。取り出された鶏の片足にロープを結び、鶏は逆さ吊りにされる。屠殺を行うのは初めてで、どのような方法があるのかは知らないが、逆さ吊りにするだけで、罪悪感が心の中を駆け巡る。他に方法はないのだろうか?さらに、暴れないように羽を羽交い締めにする。文字通り羽を交差させて固定する。ロープも何もいらない。羽交い締めと言う言葉があるくらいだから、昔から行われていたのだろう。
生命 今回は、首の動脈又は、静脈を切り、出血によりショック死させる。ナイフを首筋に入れても、騒ぐ様子もなくとてもおとなしい。まるで、死を覚悟できているようにも思える。静けさも、心地良いものではない。首筋から出血しているものの、鶏に触れるとまだ体は動いており、生きている。血を出すために足から首に向けマッサージを行う。出血から何分たったのだろうか?まだ、力強い生命を感じる。生きようとしているのか?苦しんでいるのか?ついに鼓動が感じられなくなったと思うと、ピクリとも動かなかった体に痙攣がおこった。絶命の瞬間。それぞれ何を思ったのだろうか?その場にいなければ、解らないかもしれない。日本では、毎年6億〜7億羽の鶏が屠殺されている。このうちの大半がブロイラーだ。ブロイラーはふ化(40g)から約50日〜60日(2200g〜2800g)で出荷される。その生涯はは短い。屠殺については、いろいろ意見があるかと思う。家畜動物たちの過酷な一生では、動物というより、物として扱われている家畜の実態がかかれている。また農林水産省・統計ダイジェスト・畜産物では、家畜の様々な統計がかかれている。とても対象的だ。
裸の鶏 命は暖かい  絶命した鶏は、羽と片足を落とし、胸元にナイフをいれ、皮を剥いでいく。最初にナイフを入れた後は、手で皮を剥ぐことができる。こんなに簡単に剥がせるなんて、生きてるときに剥がれたりしないのだろうか?皮の内側に手を入れてみる。とても暖かい。ああ、さっきまで生きていたんだ。そんな鶏も、全ての皮と羽がなくなると、見なれた肉となる。完全に取りきれていない羽と足がちょっと生々しい。ここから、内臓を取りだし、食べれるものと食べれないものを分別していく。
お腹と背中 お腹と背中  まずは、背中とお腹を分離する。要所要所でナイフを使うが、手で分離することができる。魚の内臓は何度も見たことあるが、動物の内臓はほとんど見たことがない。内臓と聞いて、気持ち悪いと思う人も多いかと思う。意外にも綺麗だった。無駄がなく、芸術的だ。誰かに見せるわけでも無いのに綺麗だなんてちょっと不思議な気がする。考えてみると、美しい自然は、誰に見せるわけでもなく、誰の為でもない、ただそこにあり、人が勝手に美しいと思っているだけかもしれない。宇宙は、地球は、生命はなぜ、人に感動を与えるのか?ちょっと神秘に包まれていると思った。
精肉にする婦人会 食べれるもの  羽があって、頭があって、内臓があってふっくらしていた鶏はこれだけ?と思うくらい小さくなってしまった。たったこれだけの肉を頂くために、命を頂いていたなんて。ちょっと切ない気分になった。これは、大事に食べなくてはと思う。まんまは昔、名古屋にいたので、手羽先をよく食べた。当たり前だが、一羽から手羽先は2つしか取れない。その当時はまったく実感していなかったが、凄い数の命を頂いていたんだなぁと、今ごろになって実感した。
紅富士  最終的にもも肉、胸肉、ささみを骨から取り精肉を行った。もう、本当にお肉だ。鶏がらはスープの出しに使う。レバーと砂肝はそのままお刺身にしてワサビ醤油で頂いた。まったく臭みがない。すごくおいしい。気がつくともう夕方だった。富士山は赤く染まっていた。大自然の恵みはすごい。作業の手を休め、しばしみんなで富士山を眺めた。

★1日目:夕食&家畜動物学(担当:まっち・あいちゃん&アッパー
焚火 夕食  夕食メニューはまっち・あいちゃんが担当だ。メニューは塩鮭とオクラのご飯、まっち風のっぺ汁、ほうれん草のお浸しだ。のっぺ汁は新潟の郷土料理と思いきや、どうも違うらしい。南は九州、北は東北まで郷土料理としてあるらしい。聞いたことはあるけど、あまり食べたことは無いような気がする。とろみが、つけてあってとても温まる。寒い地方には持ってこいの料理だ。のっぺ汁に入っている鶏肉はもちろん、先ほど屠殺した鶏だ。ちょっと汁ものに入れるのはもったいない気もする。
 夕食の後は、完成した焚き火場パオの柿落としも兼ねて、アッパーの家畜動物学講義を聴く。薪が湿気ているため、パオの中は煙が充満していた。不思議と焚火は見ていて飽きない。炎の揺らめきが心を癒してくれるのだろうか?しかし、残念なことに、やたらに焚火もできない社会になってしまった。どこか間違っているような気がする。
 アッパーは屠殺の現状を話してくれた。現在は、食品衛生法で自宅での屠殺は禁止されている。昔は、どこの農家でも家畜を飼育していた。しかし、高度成長時代に日本の産業は、効率重視の世の中になり、小規模な生産を取り締まり、大規模な生産が奨励された。高栄養価の飼料を与え家畜を急成長させる。急成長は体への負担が大きく、病気になりやすい。そのため、飼料に抗生物質を予め混ぜておき病気を押さえ込む。今や家畜は工業製品とも言える。そんな状態を知っているのか、知らないのか、鶏の屠殺を公然と行っているとして、ホールアースは訴えられたことがる。最終的には、保健所の許可を得えた。これが正しい事なのか疑問に思う。そもそも、その屠殺を禁止した法律は正しいのだろうか?
 家畜にはいくつかのメリットあるとホールアールは考えている。食用、皮、労働を提供してくれる家畜。メンタル的なペットとして、最近ではアニマルテラピーも注目されてきている。また、家畜は人よりも寿命が短い分、誕生や死に立ち会うことがある。それだけ「命」を実感する場面があり、教育的な効果もある。そして、自ら飼ってきた動物を屠殺して食べる「命を食べる」プログラムでは命を頂いていることを実感する。現代の食肉流通は、飼う人、屠殺する人、食べる人がそれぞれ別の人であり、動物から命を頂いているという事実を見えなくしている。家畜の不自然な大規模飼育をやめ、また考え直すために、もう一度、庭先飼育の復活を広め、そのことで得られるメリットを研究すべきとホールアースは考えている。

★2日目:(省略)

★2日目:昼食&ふりかえり
ふりかえり 昼食  訳あって、2日目の内容はシークレット。お昼はの〜んびりカレーを頂いた。心も体もちょっと一休み。長めに定点観測を行った。みんなの気持ちは整理できただろうか?ふりかえりの共有の時間となるとまた、みんなの顔が引き締まった。まだ、気持ちの整理が着いていないのだろうか?そんな中でもまんまは笑いを取りにいく。たしかに、今回の「命を食べる」プログラムは衝撃的であり、心に訴えてくるものがある。しかし、命を食べるのは日常であり、この日が特別ではないと思っていたからだ。人それぞれの考え方があるかと思うが、哺乳類、魚類、昆虫類、植物にはそれぞれ命があり、生態系の中で動物はみな生かされている。このプログラムは非日常と考えてはならないと思う。この体験から命の尊さ、生命の力、生かされている自分を感じ、日常にどのように反映していくか、じっくり考えればいいと思っている。また、家畜、屠殺から得るものは大きい、法律によって特別なものとするのはいかがだろうか?


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