★1日目:講義「エコツーリズムの意義」(担当:
アッパー)
野外活動センターに戻った後、夕食をすませ、講義となる。まずは、ホールアース自然学校代表
アッパーとご対面。今日の感想、参加した理由、普段していることなどの簡単な自己紹介から始まった。実は
まんまは「エコツーリズム」がなんなのかまったく知らないのに参加した。参加理由は「自然学校講座四季コースからの勢い」というまったくのNO PLANだった。そんなこというとエコツーリズムに命をかけている
まささんはがっかりするかもね。みんなのプロフィールを聞いても「バリバリエコツーリズム」というより、「これからエコツーリズム」のようでちょっと安心した。そんな初心者にもわかるように「エコツーリズム」の可能性の話しから講義が始まった。
★「エコツーリズム」ってどうゆうこと?★
ロシアにカムチャッカという場所がある。とても自然が豊かな場所だが、密猟により動物の乱獲が問題になっていた。当時のロシアは経済が悪化し、動物の研究者が密猟を行ったり、密猟の案内を行って生計を立てていた。このままにしては、カムチャッカの自然は破壊されるばかりと、自然学校を設立し、自然保護を訴えると共に、研究者にエコツアーのガイドを依頼することにより、密猟に関わらなくてもすむようにした。しかも、密猟に関わっていたときよりも収入は増えたという。動物を殺すことよりも、生かす方が収入がいいことに気がついたのだ。現在の日本の木をすべて売却すると約数十兆円といわれている。しかし、この木を切らずにおいた場合の景観や空気の清浄化等の経済効果は数千兆円と100倍の経済効果が期待できる。消費するばかりではなく、自然を生かすことにより経済を発展させる。価値の視点を変えることにより、新しい価値、新しい循環が生まれる。これが「エコツーリズム」の考え方だ。「エコツーリズム」は単なる観光ではなく、地域の自然、地域の経済、地域の文化を含め観光を総合的にプロデュースすることにより、自然保護、地域の活性化を促進し、持続可能な社会を形成する可能性を秘めている。おお、すごいぞ。エコロジーとエコノミーが結びつくなんてまったく考えてもいなかった。どちらかというと、エコノミーのためにエコロジーが犠牲になったり、エコロジーは宣伝として利用されていると思っていた。でも、
まんまも知らなかったように、まだまだ世の中での「エコツーリズム」の知名度は低いようだ。
★「マスツーリズム」と「エコツーリズム」★
「ツーリズム(tourism)」とは日本語に訳すと「観光旅行/観光事業」となる。
まんまは観光の町静岡県下田市で生まれ育った。少数だとは思うが、観光者のイメージはよくない。(最近は改善したのだろうか?)路駐による渋滞、海岸では一晩中花火をし、車での日帰りが多く地元の宿泊施設は苦戦している。日本の観光は普段してはならないことが許される場というイメージがある。普段は良い人なのに、観光時は横柄な人になったり(お客様は神様です風土がよくないのだろうか?)、普段はマナーを守っている人でも、高速道路のSAや観光地で大量のゴミをすてたりする。日本の社会は村社会。地元でマナーを守らないとあっという間にうわさになってしまうが、見知らぬ土地では大丈夫というような感覚を持っているのかもしれない。現在はこのような状況の中で、安い、大人数の大衆化観光が盛んに行われている。大衆化された観光を「マスツーリズム」という。「マスツーリズム」と「エコツーリズム」とはこれまで対極と考えられてきた。しかし、
アッパーは「マスのエコ化」をアピールしてきた。当初は「エコツーリズム」は神聖なもので、「マスツーリズム」の「エコツーリズム」化とは何事かと批判もあったようだ。「エコツーリズム」は一部のお金持ちやマニア向けのものでは発展することはなく、一般の人がごく普通に利用できるものとなって発展し機能する。日本政府は国土交通省が中心となり
「観光立国日本」として現在500万人の外国人旅行者を2010年までに倍増させることを目標とする政策を打ち出している。2004年7月に行われた参院選の焦点は自衛隊派遣と年金問題だったが、観光立国のような政策がクローズアップされるような世の中になって欲しいものだ。また
アッパーは「貿易は戦争を生むが、地域住民と交流のある旅行は平和を生む」とも言っていた。旅行先の国で友達ができれば、友達のいる国に戦争をしかけるとは誰も思わない。観光立国政策は日本にぴったりな政策ではないだろうか。多くの外国人旅行者に日本の良いところ知ってもらうためにも「マスのエコ化」は重要な課題ではではないだろうか。
★「エコツーリズム」が抱える大いなる課題★
良いことばかりの「エコツーリズム」のように思えるが、課題は山のようにある。そもそも、「エコツーリズム」は本当に有効なシステムとなり得るのだろうか。人はいつの時代もどこかで戦争をしている。人は懲りない。どれだけ、人に共感を得られるかもわからない。
また、とある「エコツアー」では参加者がガイドに料金を支払わなかった。「自然はタダだ。案内はしてもらったが、俺の足で歩いたので料金を払う気にはなれない。」とのことだった。理不尽な理由だが、日本の文化にはサービスは無料という感覚がある。たとえば、エコツアーで車やボート等の乗り物で案内されたり、ウェットスーツ等をレンタルしたりすると気前良く料金を支払う。現状でのエコツアーは全員に目が届くように多くても10人程度での行動となる。そうすると、どうしても料金は、大型バスで行動するようなツアーに比べれば高くなってしまう。しかし、価値感には大きな流れがあり、バブル崩壊はひたすら安さを追求してきた。これからは、、安さ以外の価値も見なおされていくのではないだろうか?また、対象者に合わせてプログラムや料金の設定を多彩にしていく努力も必要となる。
「エコツーリズム」の発展には質の高いガイドも必要となってくる。その場所に行くことを目的にするだけではく、その場、その地域の背景の解説や体験を導く事(溶岩洞窟であればどうやってできたのとか、ライトを消して暗闇を体験するとか)により、本物の自然や文化に出会うことができる。各地域で行われている自然観察会ではボランティアの方が活躍しているのだが、人とのコミュニケーションが好きというより、植物や動物が好きな人いて、これは何々ですとか名前をいうだけということもある。(私もNACS-Jの自然観察指導員ですが、スキルがないし今のところ何もしていません)また私のようにボランティアだとスキルの低い人も大勢いる。もちろん、すばらしいボランティも大勢いるが、役に立たないボランティアがいてもそれは本当に役に立たないのだ。プロはプロらしく、アマチュアにも専門性を高めるような場や仕組みを開発していく必要がある。
「エコツーリズム」が盛んになれば、今まで人があまり踏み入れなかった場所へ多くの人が訪れるようになる。自然が破壊されると「エコツーリズム」へ不信感を抱いている人もいる。人が活動する場では、環境に対し負荷がかかるのは当然である。それは、今も昔もかわらない。ただ、自然への関わり方が変わっている。ダムや護岸工事により水を操り、海を埋めてては土地を広げ、人は自然を支配しようとしているようにも思える。自然の事を理解し、自然へのローインパクトを心がける必要がある。場合によっては、入場制限をかけることもあるだろう。その場合、業者間で顧客の奪い合いが発生するかもしれない。自然と人を取り巻くガイドラインの制定が必要となってくる。また、地域住民の理解も必要だ。多くの人が訪れることにより、渋滞、ゴミ、マナーの問題が発生する。異いかにして、地域の活性化に結びつけるか、それぞれの地域によって問題も変わってくるだろう。
「エコツーリズム」の課題
@「エコツーリズム」は本当に自然・文化保護、経済、地域活性に有効な手段となるのか?
A「エコツーリズム」が機能するための具体的な手段。
B自然負荷と自然保護のバランス。環境負荷の認知
Cガイドの質を高める。
D地域住民は何を得る。地域住民の理解。
E事業者間の争いと対立。